サッカー選手はひとりでおきれないのか
Wカップをみていると、というか、
サッカーの試合でよくあることとして、
ピッチにたおれこんだ選手は、
ほかの選手のたすけをかりておきあがることがおおい。
もちろん、ひとりでおきれないわけはなく、
このしぐさの裏には状況によっていろんな意味がこめられている。
ファールをうけた選手が、「わるかったね!」というふうに相手からおこしてもらったり、
味方の選手から「いいプレーだったよ!」というふうにおこしてもらったり、
なかには審判から「もういいかげんおきなさいね」みたいに
おこしてもらったり。
アイススケートの選手でさえ、ころんだときはひとりでおきるのに、
これだけ自分ひとりでおきるのをさける競技はほかにない。
ある程度、これははやり・すたりによるもので、
ちょっとまえまでは(すくなくとも日韓ワールドカップまでは)
たおれてもひとりでおきるのは常識だった。
それがいつのまにかたおれた選手に手をさしのばして
おきるのを手つだうのがマナーみたいになってきた。
おこすほうからすれば、自分もつかれているときに
たおれた選手をおこすのはけっこうちからがいる。
だからこそ、その労をおしまないのがエチケットだったり、
自分の余裕をしめすパフォーマンスともなる。
日本の選手は、まだ自分ひとりでおきようとするほうだろう。
外国人選手のなかには、ひとのちからをかりようとするひとがおおく、それがまたサマになっている。
日本人がこれをやると、いまひとつきまらないのは
たおれたひとをたすけおこす文化がないからだ。
たおれたひとの半径3メートル以内にちかづかないのが日本流であり、
反対に、たすけるすべをもたなくても、とにかく野次馬として
かかわろうとするのがラテン系、
よこになったものは、とにかくもとにもどさないといけない発達系と、ざっと3種類に分類できることに気づいた。
4年後のロシア大会では、どんなパフォーマンスが常識となっているだろう。
(吉田 淳)