コンクラーベではダジャレにならない?
「日本人のわらいは
ダジャレとあげあしとりばかりだ」
と映画字幕の翻訳でしられる
戸田奈津子さんがなにかにかいておられた。
わたしにもおもいあたることがあり、
それ以来、このふたつのわらいについて
注意するようになった。
いまバチカンでローマ法王をえらぶ
「コンクラーベ」がおこなわれている。
あまりにも日本語そのままで、
ながい時間がかかるという意味もピッタリだったこともあり、
ダジャレとして人々の口にのらないのは
おもしろい現象だとおもう。
工夫して(したつもりで)しゃれにするから
おもしろいのであり、
さいしょからあまりにもできあがっていると
だれも「コンクラーベ」を
「根比べ」にひっかけようとはしないのだ。
もしこれを口にしたら、きっとまわりから
ものすごいさげすみの反応がかえってくるのだろう。
家族のまえでついもらしてしまいそうなお父さんは
じゅうぶん注意するように。