ピピとピピ2

特定非営利活動法人ぐりぐりの放課後等デイサービス・ピピと児童デイサービス・ピピ2のブログです。毎日元気にぐりぐり遊ぶ様子が残せたらいいなぁと思っています。

大丈夫の乱発をどうおもうか

すこしまえの朝日新聞に、
「乱発される『大丈夫』の研究」というのがのった。
最近やたらと「大丈夫ですか?」「大丈夫です」を耳にするけど、
「大丈夫です」ではなにが大丈夫なのかわからない。
大丈夫のつかい方はおかしくないか、という記事だ。
いわれるまで、そんなに大丈夫がはびこっていることに気づかなかった。
しらずしらずのうちに、わたしもよく「大丈夫です」をつかっている。

記事が問題にしているのは、はっきり意思をつたえたくないときに、
とおまわしないい方として大丈夫がつかわれていることで、
その程度のこともいえないようではなさけない、というニュアンスだ。
ことばのつかい方は、そのひとの価値観があらわれており、
なにげなくつかっているようでも、深層心理をうつしだしている。
自分にとって関心のないことばは、さして重要ではないようにおもえ、
どうでもいい、という態度になってしまう。

大丈夫って、そんなに問題なつかわれ方だろうか。
基礎英語みたいに、たとえば850の単語だけでやりくりしようとおもえば、
この大丈夫はものすごくつかいがってのいい単語といえる。
日本人の発見した最強・最良なことばかもしれないのだ。

わたしは、あることばをつかったら、
それだけで雰囲気にひたる情緒的なことばがきらいだ。
「つむぐ」なんて、それをいった時点で、
もうしっとりした気分になっているのではないか。
内容はなにもかわっていないのに、「つむぐ」とさえいておけば、
なんだか繊細で肯定的なうごきをしたつもりになっている。
いったものがち、というかんじがいやなのだ。

「大丈夫」にわたしが抵抗をかんじないのは、
情緒と関係がないからだろう。
大丈夫、といったからといって湿気をもつわけではなく
ドライになるわけでもない。
でも、これからはすこし気をつけて大丈夫をつかってみよう。